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モンゴル帝国の二度の侵攻(元寇)から日本を守るため、亀山上皇が祈願を捧げ、箱崎宮に「敵国降伏」の言葉を下賜した歴史を伝える看板です。
この看板について
ここに書かれているのは、鎌倉時代に起きた「元寇」と、箱崎宮にゆかりの深い亀山上皇の物語です。
亀山上皇とは
亀山上皇は日本第90代の天皇(在位1259〜1274年)です。退位して上皇となられた後も、モンゴル帝国の侵攻という国難に際し、「我が身を以て国難に代わらん」と自ら祈願を行い、全国の神社・仏閣にも祈りを命じられました。
元寇とは
モンゴル帝国のフビライ・ハンは、1268年から繰り返し日本に服属を求めてきましたが、朝廷も幕府も拒否し続けました。
一度目の侵攻(文永の役・1274年)では、約3万の兵と900艘の船で博多湾に上陸した元軍と、九州の武士団が激しく戦いました。日没後に元軍が船へ撤退すると、その夜に大風が吹き、大半の船が沈みました。
二度目の侵攻(弘安の役・1281年)では、10万を超える大軍が再び押し寄せましたが、日本軍の奮戦の末、またしても激しい暴風雨によって元の艦隊は壊滅しました。この二度の嵐は「神風(かみかぜ)」と呼ばれています。
「敵国降伏」について
文永の役で兵火の被害を受けた箱崎宮の再建に尽力された亀山上皇は、国家安泰への願いを込めて「敵国降伏」の言葉を下賜されました。これは武力による征服ではなく、「日本の徳と神仏の力によって外国の脅威を退ける」という祈りの言葉です。この扁額は現在も箱崎宮に掲げられています。
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